映画のシナリオの話『生きる』

心に残るエピソード

今日は!天皇陛下の即位を祝う会の舞台監督の猪ヶ倉大介です。

映画が発明されて、100年以上経ちます。

最初はめくり漫画の様な簡単なものでしたが、

実際に初めて絵が動くのを見た時の驚きと感動は、

計り知れないものだった筈です。

無声映画から、トーキー、総天然色(オールカラー)、

そして現在はCGによって、

出来ないものはない!と言っても良い程進化しています。

でも、いくら映像の技術が上がっても、

肝心の脚本が良くなければ、良い作品は産まれません。

その脚本と言う言葉、

同じ意味でシナリオという言葉も有ります。

映画関係の雑誌の名前にもなっていますが、

洋画にはシナリオ、邦画には脚本、

使い分けが有った様な気がします。

僕は脚本よりもシナリオと言った方が、

洒落てる様で好きです。

その脚本の中でも、「コレぞ脚本、」

と言うエピソードをご紹介します。

皆さんは、映画監督「黒澤明」をご存じですね。

『世界の!』と言う言葉がついたのは、

最初で最後の映画監督では無いでしょうか!

あのスターウォーズの名コンビ、

R2D2、C3POのキャラクターも、黒沢監督の作品から

ヒントを得て作り上げたのは、有名ですね。

そんな中でも、脚本へのこだわり、作品への深い思いを

如実に現したエピソードが、『生きる』1952年

と云う一本の映画で、生まれました。

これは、胃癌に侵された一介の市職員が、市民の為に

小さな公園を作り上げるまでの話です。

脚本は、黒澤明、橋本忍、小國秀雄の共同執筆。

第一稿は早坂、決定稿は早坂、黒沢の二人が書き、

小國が推敲すると云うスタイルだったそうです。

遅れて来た小國が、決定稿を読んで、

「駄目だな!」

「何処が駄目なんだ!」

鬼の形相で、黒沢が問いただします!

「…………だから、…‥…なんだ!」と云う説明に、

黒沢監督は、

「お前が遅く来たからこうなったんだ!」

と原稿を破り捨てたそうです。

天皇、完璧主義者と言われた黒沢監督の、

妥協妥協のない姿勢の中にも、駄目なものは駄目という

良いものにする為の懐の深さ、

脚本家、小國秀雄への信頼感が、垣間見える一場面だったと思います。

それとは全く別のエピソードを、僕は聞いたことがあります。

脚本家が漸く完成させて、第一稿を監督に見せた所、

監督は黙って、要らない箇所を大きく✖️印で消して

突き返しました。

次の稿もまた同じように突き返されました。

そして次もまた突き返されました!

何度となく突き返された後、

最後に監督の前に出されたものは、

『 生きる 』と云うタイトルだけのものでした!

余計なものはいっさい必要無い!と云うメッセージ!

そしてこの名作が生まれた!

と云うエピソードです。

皆さんはどちらが好きですか?

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